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在野の研究者

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学問・お勉強の話
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他の人はどう言うか知らないけど、僕は全く研究ポストにつくつもりはない。

僕は個人的に研究をしなければならない理由があるから、研究をしているのであり、別に研究者という職業に就きたくて研究をしているわけではない。研究をする環境さえ与えてくれるなら、僕はそれでよくて、特に職業を選ぶつもりもない。

僕の話から切り出したが、最近の研究室の学生数と研究ポストの数、そして近年の研究予算の削減を見れば、今後の研究職への就職が一層厳しくなるのは火を見るよりも明らかだろう。
このような状況の中で、「自分は研究ポストにつけるはず」と祈るのは結構なことだが、個人的にあまり建設的ではないように思う。
まず、その可能性が今後一層低くなり、下手をするとポストがゼロになることすらも考えられ、もしそうなったら祈るとか云々を超えてどうやっても研究者にはつけないことになる。
​それに、ポストの数とそれを嘱望する人間の数の絶対的な差から、必然的にポストと人間の関係は暗黙の椅子取りゲームになる。
僕としては、そんな椅子取りゲームに参加しなければ手に入らないようなポストはこちらから願い下げである。

しかし、これは僕が研究職につかなくても生活できるから言えることであり、他の人が祈るしかない心境にあることは十分に理解できるところでもある。
それ故に、周囲の知人を見て「これはよろしくないなぁ」と思うことは多々あるのだが、それは後日に置いておく。
とにかく、近年の研究予算の削減を見れば、今後椅子取りゲームが苛烈なものになるのは十分予想の範囲であり、同時にその椅子に座れなくなった人たちが大量発生することも容易に予想できる。
問題は、そういった人たちは今後どうするの、という話だ。

この問題に一義的回答を出すことはできない。
ただ、あくまで僕の予想として、今後は所謂研究職の人間ではない、職業を別に持った人間が研究の担い手になる時代が来るのではないか、と思っている。
というのも、このまま研究ポストが減少すれば、学会の参加者も減少することになり、そうすると学会側としても研究ポストを持たない非研究職の人間に助力を求めざるを得なくなる。
また、研究ポストを得られなかった非研究職の人間としても、研究自体は継続したいと考えており、学会で発表を行いたいと思う人は少なからずいるだろうし、これから増えていくのではないかと思う。
そうなったとき、学会には多くの研究ポストを持たない非研究職の人間、即ち在野の研究者が増加して、そっちがむしろ研究の担い手になっていくことだってあり得るのではないかな、と予想してる。

これが好ましいか好ましくないかは特に言うつもりはないが、現状がこのまま変わることなく続くなら、近い未来に何らかの対応はせざるを得なくなるだろう。
その中で、僕が言うような在野の研究者が増えるということは、学問がその体系を維持できる数少ない手段の一つではないかと思う。