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入院生活でよく聞く「お家に帰りたい」という言葉について

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入院生活をしつつも、点滴があるという点を除けば限りなく健常に近いので、仕事と勉強をしながら過ごしてる。

全くと言っていいほど不自由をしていないので、ぶっちゃけここで生活していいレベルに安定してる。
点滴があって外出できないという点だけは不自由だけど、事務的な仕事がちょっとあるという点を除けば、それ程不自由をしてないので、外出許可が出ても入院期間中は籠ってるかもと思う次第。
結構快適な生活です。

まぁ、そんなわけで、非常に冷めた目で病院という環境を眺めてるんですが、中にはやはり不満のある人もいるわけで、というか老若男女問わず不満があるのが普通なわけで、僕が異常というのが正解。
それはさておき、やはり病棟にはご高齢の方が多くて、彼らの不満の声を聞きながら仕事をしてるわけです。
そんな彼らの声で一番多いのが、やはり大方の予想通り「お家に帰りたい」なわけです。
でも、ここで言う「お家」、実は意味が二つあるな、と聞いてて分かりました。
比喩的なとか、そういう意味じゃなくてもっと物理的次元で。

彼らの話を聞くのって大体ロビーで僕が仕事をしているときで、彼らは昼食時の時間にそこに集まっているんです。
そこで食事をしたりしているわけですが、別にそれは彼らが同じ入院者と顔を合わせて交流しようとかそういうことを目的にしているわけではない。
ずっと病室に籠って寝たきりだと体が弱って動けなくなるから、リハビリの意味もあって看護師さんがロビーに連れてきて、そこで数時間過ごさせているわけです。
でも、彼らのしてみると、数時間座っているだけでも体が痛くなる。
だから彼らは病室という自分の「お家」に戻って、早く横になりたい。
そこで、「お家(病室)に帰りたい」という言葉が出ているんだと気づいたわけです。

で、そういう「お家(病室)に帰りたい」という言葉が出ても、リハビリ目的がある以上、看護師さんも「はいはい」と話を聞くわけにもいかない。
だから彼らはずっと「お家に帰りたい」と叫ぶけど、看護師さんはそれをいなしていく。
ある程度時間が経って、「お家(病室)に帰りますよ」と看護師さんが言うと、そのお家が自宅ではなくて病室だと分かっているのに、彼らは喜んでいるのを見て、僕は「なるほどなー」と思っていたわけです。

でも、看護師さんの厚意に反して、やはり彼らはロビーで数時間座っているのがつらい訳で、彼らは病院にものすごく強い不満を持つ。
そこでもう一つの意味の「お家(自宅)に帰りたい」という言葉が出る。
「すぐそこの家だから私を連れて行って」と言われた時は僕もびっくりしましたよ。
どこの駆け落ちか、と。
でも悪い、僕もここから出られないんだ、点滴してるし。
それに僕、結構この入院生活に満足してるから、無理して出なくてもいいかと思ってるんだ。

まぁ、僕個人の話は置いておいて、そんな感じから彼らは「お家(自宅)に帰りたい」というんだな、と思ったわけですよ。
でも、その言葉を発するのが、そもそも椅子に座っていることだけでも辛くなるような状態なわけで、だからリハビリ的な意味でそこに座らされているわけで、「お家(自宅)に帰りたい」と言われましても、それじゃ自宅の人も対応できませんというのも然りではないか、と。
で、お家(自宅)に帰るための医療の一貫としてリハビリ的な意味でロビーに座ってるわけで、でもそれ自体が彼らには不満なわけで「お家(自宅)に帰りたい」と叫ぶことになり、でもお家(自宅)の人もそれじゃ無理だから医療機関に預けてる、という永久ループになるんだろうなぁ、と。

そんな状況を彼らが知ってか知らずかは分からないけど、この状況ゆえにお家(病室)は実際のところ彼らの結構な居場所になってるのかもしれんなぁ、と思ったりした。
「お家(病室)に帰りますよー」って看護師さんに言われて喜んでいるところを見て、「それお家(自宅)じゃないよ!」と最初はちょっと突っ込みたくなったけど、仕組みとして「なるほどなぁ」と思った次第。

とはいえ、僕も個人的に「同じ立場になったら自宅で過ごしたいよなぁ」と思うので、この仕組みは中々難しい問題だなぁと思ったり思わなかったり。
在宅医療関係の話、僕はあまり首を突っ込んではいないけど、関係者方々には頑張ってほしいと改めて思ったりした。